音楽はどこから?

どこにも出かけずに、逼塞して暮しています。あ、昨日、実家に帰ったっけ。日帰りだけど。


あいおい古本まつり、ほんとはすごく行きたくて、というのは本を買うことよりも、向井さんの「理想の低い古本屋入門」がすごく聞きたかったから。これね、いま聞いておくべき話だと絶対、思ったんですよね。誰かまるごと録画してないかしら(笑)。


岡崎武志さんが短い言葉でうまくまとめてらして、さすがだと思いつつ、「そうだろうなあ」「なるほど」と頷いてしまいます。「声なき客」を意識、というところが最重要かな。
http://d.hatena.ne.jp/okatake/20110828


文章を書く人間もね、まだうまく表面化していないし脳化=言語化されていないけど、オレのカラダはうすうす気付いているぞ、という「流れ」「動き」になんとかして触ることが勝負なのですね。スルッと逃げちゃう、すばしこいものを言葉にして、それを人に読んでもらう作業と、古本屋さんが棚を作る作業は、わりあい似ている、と思います。少なくともぼくはそう思います。



それは、「セレクト」ではない、とうことですね。「セレクト」というのは、どんなにがんばっても、ある種の「趣味の良さ」にしか到達しない。古本屋さんって、もっとエモーショナルな商売ですもんね。でももちろん、単に趣味が悪いのは脱落でしかないから、趣味は良い方が絶対にいいんです、これは間違いない。問題はその先。


ああ、いけねえ。なんかエラそう。安い本しか買わないくせに(笑)。でもあれですよ、若い人は、岡崎さんや山本(善行)さんのマネして、均一で拾うことばかりしていたら、そんなのいちばんダメ。若い人ほどムリして高い本買わないと。買える/買えない ということにやきもきしながら、自分が本当に求めているものが何で、それってでもだいぶ人に影響されてるよね? ということも意識しながら、悶々としているのが正しい青春です(笑)。





とまあ、そんなことを考えているうちに日も落ちて、いやあ、だいぶ日が短くなりました。


ほんとは音楽のことを書こうと思ったんだけどな。というか、音楽にどうやって触れるか、という。


そんなの、ライブ行くのがいいに決まってるじゃん、と言われるかもしれませんが、で、その通りなんですが、やっぱりね、パッケージ商品として音楽を買う楽しさって捨てがたいと思うんですよ。



ところが最近、音楽ほど店で買えなくなってしまったものはないですね。映画はまだね、少なくなったとはいえ映画館あるし、シネコンもいろいろ好きになれない点はあるけれども、それでも一つの「場所」として機能している。


前情報じゃないもので動くって、人間にとってものすごく重要だと思うんです。シネコン行ってから、Aを観ようと思ってたけどBのほうが面白そうだとか、他の映画のチラシいっぱいもらってくるとか、本だって本屋行ってから買う本決めたほうが面白いもん。いま、音楽でそれができにくくなってますよね。ディスクユニオンはあるけどWAVEもタワレコHMVもなくて。


DVDやブルーレイも、VOD(ビデオオンデマンド)化が進んだら、TSUTAYAどうするんですかね? TSUTAYA好きじゃないけど(BOOKOFFが好きじゃないのと同じ感触)、無いよりはあったほうがいい。


皆さん、音楽「買う」時って、i-tunesですか? ぼく、1回も買ったことなくて、それで言うのもナンだけど、買った気します? あんなんで。なんかものすごくつまらない行為に思えて仕方がありません。アルバム、という概念も消えていくの? なんでこの順番に曲が配置されているかとか、聴いていくうちに好きな曲が変わっていくとか、なんかそういう「文脈」をつくる力が、どんどん微弱になってきています。


えーとね。すごく普通の、当たり前のこと、言ってます。目新しいことは何一つ、言ってない。でもね、もっとみんな、こういうこと、どんどん言ったほうがいいと思うんですよね。そして、音楽のこういう状況に比べると、本ってまだ恵まれてると思うんです。




ぼくがいちばん音楽に触れているのは、Youtubeですね。タダだし(笑)、意外なほどいろいろ見つかるし。Youtubeなかったら相当お寒い状況ですよ。


Eleanor Friedberger(エレノア・フリードバーガー)の「Heaven」。ぼくはこういう音楽が、ほんとに好きです。