だから川が好きなのかしらん?

きょう、8月12日は49歳の誕生日でした。


よんじゅうきゅうさい! もー、めまいするくらい大人です(笑)。というか、おじいさん(?)


8月12日というのは、85年の、あの痛ましい、御巣鷹山日航機墜落事故の起きた日付として記憶されている方も多いでしょう。


ツイッターを中心に、ほんとにたくさんのお祝いの言葉をいただきました。一つひとつにリプライしたはずですが、あらためて、ありがとうございます!


毎年、京都の下鴨神社で行われる古本まつりの初日が8月11日で、「行きたい行きたい行きたい」と常に思っているにもかかわらず、去年に続いて今年も行けませんでした。その代わり(?)といってはナンだけれど、昨日は東急東横店の古本市で野呂邦暢の詩集『夜の船』を入手し、きょうはコンコ堂さんで庄野潤三の最初の本『愛撫』を購入できました。


『夜の船』は、野呂邦暢らしい緊迫感ある切り込み方をした詩篇なのですが、残念ながら小説に比べると圧倒的に魅力に乏しいです。行の切り方のリズムなども違和感があって、やっぱりこの人は散文家ですね。


『愛撫』はヤケ、イタミありということで1500円で買えましたが、ほんと、庄野さんの初期の短篇って、晩年からは想像できないようなのを書いていますよね。




えー、きょう書きたかったのはこういうことじゃなくて、川のことなんだよな。


なんかね、人間、生まれた土地、地理、環境みたいなものに、少なからず影響を受けるのではないかと思うんですね。ある時代以降はほとんどの人が病院で生まれているわけだけれど、そこが温暖な気候なのか、寒いのか、平地なのか海岸部なのか、どんな町なのか、とか。


で、ぼくは栃木県宇都宮市という、あまり特徴の無い、だだっ広い関東平野の北のほうで生まれたんですけど、生まれた病院が、川べりにあったんですね。JR宇都宮駅のすぐ近くに、田川という、ほんとにすごくつまんない名前の(笑)、それなりに川幅のある川があるんですが、その川べりにある病院です。


なので、まったく根拠の無い仮設なんですが、川の匂いとか、川から渡ってくる風が赤ん坊の自分の髪や頬っぺたに当たる感じとか、いや、もちろんまったく記憶にないですが(笑)、なんかそういうのって、その人の性質に作用するような気がするんです。


海育ちか山育ちかで気性が違うというでしょう? そこまでハッキリしたものでなくても、小高い台地の上のほうで生まれたとか、いつも列車の音がする線路の傍だとか、雑木林が近くにあるとか、そういうの。


なんかね、自分の場合は、あの川じゃないか。そんな気がするんです。


田川って、宇都宮市民が灯籠流しする場所でもあるんですね。去年の6月に亡くなった母も、ろうそくと一緒に、その川に、ね。うん、その灯籠流しのことがあるから、余計、自分を川と関連付けたい、というのがあるのかなあ。辻征夫さんの詩が好きなのも、辻さんが隅田川の詩人だから?


京都が大好きなのも、40%くらいは鴨川があるからです。他の人にとっては鴨川が無くなっても、京都の魅力はせいぜい1割くらいしか変わらないかもしれませんが、ぼくは半分くらい、喪失感あると思いますね。




なんてことを考えてました。きゃ、感傷的。


同じ8月12日に生まれた人にマーク・ノップラーがいて、だからダイアー・ストレイツの「So Far Away」をば。