義夫と義男

下北沢の書店B&Bで行われた片岡義男さんのトークに何度か行きましたが、その中である時、片岡さんが貴重な音源と映像を披露されていた時がありました。それは歌手の田端義夫が歌っているモノクロの映像で、残念ながらタイトルを失念していて、Youtubeをあたってもそれらしいのがないので、ここにお見せすることができないのですが、その音楽を片岡さんは「戦後の日本人の音楽の極致」と表現しました。


それは、戦争が終わって戦後という時代が来て、事の良し悪しは別として日本全国に均一な日本語教育が隅々まで浸透し、それが花開いた、一つの歌の成果としての頂点、というような意味だったと思います(しかしこの理解には自信がないので、もしあのトークを聞かれていた方がいらしたら訂正してください)。


で、その時の音源はないのですけれど、Youtubeにあたるといくつかの映像と音源が観られます。下北沢のイベントの時も思ったのですが、田端義夫という人はほんとうにホレボレとするようないい顔をしていて、こんな人が近くにいたらいいだろうなあ、という、アニキであり、やさしさであり、なつかしさである、と思いました。


二枚目、というのではないけれど、なんというか、実に説得的な顔です。押し付けががましさがない。ハードな人生渡ってきました、という威圧感がない。(たぶん)苦労した人の顔なんだけど、それがどこか含羞になっている。そう、思うのです。


「男の顔は履歴書」といえば加藤泰の映画ですが、60くらいになってバタヤンみたいな顔になっていたら、それはもう、言うことないんじゃないでしょうか。


なんで田端義夫のことを書いているのかよくわかりませんが、急に書きたくなったので書きました。代表曲「島育ち」を聴きましょう。バタヤンといえばこの高い位置に構えるギター。タキシード姿もとにかくキマっているのです。


と、ここまで書いて残念なことに、ブログに貼っても再生されないようなので、こちらで楽しんでください。
https://www.youtube.com/watch?v=34zZbWocmbk

1円も使わない日

ずーーーっと降ってますねえ。根気のいい雨です。しかもきょうはちょっと、寒かったんじゃないですか?


週明けの火曜日に急なインタビュー仕事が入り、きょうはその本をずっと読んでいました。ぼくは本を読むのは遅いほうだと思うけれど、午前中から読み始めて、お昼ご飯を挟んで、夕方まで読んで、読み終えました。読者家の人ならよくあることでしょうが、最初から最後まで同じ日に本1冊読み終えるのは、短編ならいざしらず、自分としてはだいぶめずらしいことです。


めずらしいといえば、きょうはお金を1円も使わなかったな。外出先は徒歩2分の図書館だけだし。雨の休日にふさわしい過ごし方かもしれません。


またちょっと違うの読もうかなあ。お風呂に入ってから。アストリッド・リンドグレーンの『山賊のむすめローニャ』がいいかしらん。


夏の、雨の休日(休日じゃない人はすみません)にふさわしい曲調のStyle CouncilParis Match』を。ヴォーカルにTracy Thornをフィーチャーしたヴァージョンです。夏、雨、夜、って感じでしょ? いや、むしろ雨上がりかなあ。


きょうはこれだけ。


雨の日のバスは……

いやはや、すごい雨が降っています。いよいよ入梅。きょう1日でも「もういいんじゃねえの?」ってくらい降っています。降り込められて籠もっている感覚は嫌いじゃないですが、出かけるのはねえ。きょうはしたたか濡れました。


三鷹に越してからバスによく乗りますが、きょうの行き(駅まで行く)のバスは雨ということもあってとにかく混んでいて、運転手さんが「もっと詰めてください」と言っても、後ろから「もうムリだよ」とおばさんが言い返したりして、それくらいのギュウギュウづめだったのだけど、バス停で待ちぼうけくらったまま、「もう乗れないから後のに乗れ」とスルーされてしまった方々はほんとうに気の毒でした。


前にも何回か書いたりしましたが、ぼくは子供の頃にまず最初に就きたいと思った職業がバスの運転手で、それは子供として初めて仕事らしい「型」を伴った仕事がバスの運転手だったからです。父親はサラリーマンで、毎朝出かけていくけれどどこで何をしているか皆目わからなかったし、近所の八百屋やお菓子屋のお父さんは、自分の家のすぐ隣にいる人、って感じでどうも働いている人のような気がしなくて(身勝手なイメージですね)、だから最初に「おー、かっこいい! 仕事って感じ!」と思ったのがバスの運転手でした。


これも何回か書いていますが、ぼくは家のすぐ近くの幼稚園がキリスト教系(YMCA)がやってるということで通わせてもらえず、代わりにお寺が経営している幼稚園に通っていたのです。キリスト教はダメで仏教はいいという、まあこれは父親の考えだったのでしょう。


で、桂林寺というお寺が経営していた桂林幼稚園が少々遠くて、それでバスで通うことになったわけです。幼稚園でバスっていうと、今なら幼稚園側が用意するあの園児のバスを想像するでしょけれど、ぼくが使っていたのは市内を走っている普通の路線バスで、だからぼくは5歳でもう定期を持っていました。通勤でも通学でもない、通園のための定期。


若い人には信じられないでしょうけど、当時はまだ、バスの中に車掌さんがいたんです。女性の車掌さん。けっこう花形の職業だったんじゃないでしょうか。でっかいがま口みたいなカバンを持って、キップを切っていました。それからほんの数年後、ぼくが小学生になる頃には車掌はいなくなり、バスの車両はでかでかと「ワンマンバス」と看板を掲げることになります。「ワンマンバス」って何? って親に聞いた覚えがありますね。そこには何やら、新しい時代の香りがしました。今なら消え行く車掌のほうに気が行くでしょうが、当時は子供でしたし、それにそういう時代でもありました。


バスは映画と相性が良くて、いまザッと思い浮かべただけでも、バスが出てくるいい映画がいっぱいあります。クリント・イーストウッドの『ガントレット』、テリー・ツワイゴフの『ゴースト・ワールド』、青山真治の『ユリイカ』、『リトル・ミス・サンシャイン』もよかったですねえ。グゥイネス・パルトロウのお父さんが撮った『デュエット』って映画のバスも好きでした。バスの最後部をフィルムで撮ると、わりあいそれだけで絵になる感じもありますね。


と、いうわけで『あの頃ペニー・レインと』。曲は「Tiny dancer」で、エルトン・ジョンであります。

モノラルで「天気雨」

「遠くへ行きたい」という長寿番組があって、もう44年くらい続いているみたいですが、先日、都内某所で、若き日のユーミンが出演した貴重な映像を観ました。きょうになって調べてみたところによるとオンエアされたのは1976年6月13日で、ユーミンは当時22歳。これが実にまぶしい番組でした。


遠くへ行きたい、というタイトルとは裏腹に、いや、だからこそ良いのかもしれませんが、ユーミンが訪れるのは大磯と湘南の海。旅をしてそこで見たもの感じたものをモチーフに1曲作るという、実に豪勢な内容でした。


その構えたるやほんとに豪勢なんですが、番組の画のほうはいたって庶民的で、釣りをしているおじさんにユーミンがからんで「私、歌い手なの。けっこう有名なんだよ」と言ってみたり、画づくりがちょっと「新日本紀行」風で渋かったり、かと思うと能天気なシーンがあったりして、そのアンバランスさが魅力的でした。


22歳のユーミンも実にかわいい。ぼくはあの、ちょっと目と目が離れている顔がなんとも好きなのです。着ているTシャツに Yuming とプリントしてあったりするのもほほえましく、嫌味な感じや自己顕示欲に見えないのが、まあ、トクなところでしょうか。


で、その番組でできた曲が「天気雨」です。八王子生まれのユーミンにとって、相模線という、近しいようでいてちょっとアウェイの路線に乗って出かけていく海。そのローカル感がいいのですね。


モノラルっぽいいい感じの音源があったので、聴いて見てください。気持ちが軽くなります。

下品な味の旨さ。

ロクに料理ができないので、いわゆる料理エッセイの類はあまり読んでこなかったのですが、そのタイトルからして「おもしろそうだなあ」と思い、読んでみて(まだ途中ですが)期待以上に面白い『マスタードをお取りねがえますか?』(西川治著、河出文庫)という本があります。


著者は料理研究家であるとともに写真家、画家でもあり、カバーには著者が描いた食材の絵(鳥や腸詰、ソーセージなど)があしらわれています。どちらかというと下世話な食べ物が俎上に上ることの多いエッセイで、そのあたりがまことに好ましい。


で、中に「ポテトチップスを二シリングと、お魚を六つちょうだい」と題された章があり、これはアラン・シリトー『屑屋の娘』に出てくるセリフ。著者はこの小説がフィッシュ&チップスの店先から始まることに何事かを感じ、「ドリスと出会ったのは、イルキントン通りにある魚フライの店先だった」というそっけない書き出しに「妙にドキッとした」と書きます。そして「ぼくはそんな店に何度か入ったことがある」「しかし、フィッシュ・アンド・チップスが天ぷらのように衣もカラリ、お味サッパリだったら、あの下品な味にはならない。(中略)食べ物に上品な味があるとすれば、どうみても下品な味もある。なんとなく、食べたくなるものには、案外、下品なものが多いようにおもうのは、ぼくだけだろうか」とつづきます。


これを読んで、「ぼくだけじゃない!」と、つよくつよく、思うのですね。下品な味、万歳、と。


アラン・シリトーはたしか新潮文庫の『長距離走者の孤独』だけが生きていて、集英社文庫はすべて絶版です。『マスタードをお取りねがえますか?』を読んで『屑屋の娘』がたまらなく読みたくなり、きょう、神保町で用事があったので何軒か覗いてみたら・・・・・・ @ワンダーに1冊、ありました。


40ページほどの短編なので帰りの電車とバスで読み終えることができたのですが、まあ、清冽な青春小説ですよ。いささか育ちの違う18歳の少年と少女の、出会いから悲劇までを一筆書きのようなタッチでサラッと描き、これだけの長さに確実に時間の経過と痛みと感傷を込めている。そして同時に突き放してもいる。


わ、シリトー、いいなあ、と思いました。いまはもうぜんぜん流行らないというか、ほとんど読まれていない作家ですね。たしか野呂邦暢が、シリトーを好きだとどこかで読んだような記憶があります。


と、いうわけでさっき、夜中なのに盛大にポテトチップスを食べました。1人暮らしの頃はしょっちゅうやってましたが・・・・・・ ああ、それをあきらめなくて済みそうなのが、かなり、ありがたいです。

三鷹から再開

思うところあって、この日誌を再開することにしました。


最後に書いたのがなんと……


2013年7月16日(笑)。これではもう、止めたのと一緒ですね。




これからは短くてもいいからなるべくマメに(これも以前、2回ほど同じ事を書き、実現しませんでした)行きたいものです。


この10ヶ月の出来事はほんとうにめまぐるしかった。10ヶ月前の自分に「来年の5月にはこんなふうになってるよ」と言っても、絶対に信じないであろうと思われるような変化です。


10ヶ月前とは、住んでいる場所も違うし、1人暮らしでもないし、独身者でもない。


そういう変化です。


変化が大きいので、いろいろなことに飲み込まれそうになったり、戦々恐々としたりするわけですが、そうした中で日々、ふと立ち止まれるニュートラル・ポジションがあるといいなあ、と思い、また、なんでもかんでもツイッターで事たれりとするのは良くないよー、とも言われ、そんなこんなの再開です。


阿佐ヶ谷から三鷹に越して、2ヵ月半。中央線沿線に住んでいてもほとんど感じることのなかった「郊外」という語感と、その意味するところを、少しずつ呼吸している感じがします。西荻窪までが23区で吉祥寺からが区外になるわけですが、三鷹の隣町の吉祥寺はやっぱり都会で、行くには少し気合が必要だったりします。三鷹に戻ってくると、肌で「西だなー」って感じますね。


とまあ、再開初日はこんなリハビリっぽい感じで。

BOOKDAY とやま のこと(後半)

またまたどーんと間隔が空いてしまいました。
なので、長ーいのを載せようかと。
「高円寺電子書林」というメルマガに載せたヤツです。登録されていない方は読んでいないと思うので、もしよかったら。


ほんと長いので、おヒマな時に。






ツキイチジャーナル 7月


花がなくてもサクラはサクラ ―― BOOKDAY とやま に参加して ――

北條一浩



 さる6月23日、富山市で開かれた本のイベント「BOOKDAY とやま」に行って来た。富山では初の試みになる「一箱古本市」とトークイベントを組み合わせた催しで、開催はこの日1日のみ。僭越ながら、このトークのゲストとしてお招きいただいたのである。
 呼んでくださったのは、富山市内で古本ブックエンドを営んでいる山崎有邦さんと石橋 奨さん。山崎さんは金沢市オヨヨ書林、石橋さんは高岡市で上関文庫と、それぞれ別の店舗もやっていて、そのお2人が富山市で共同経営しているのが古本ブックエンドだ。
 一箱古本市は当初の募集枠を超える応募があり、予定より少し拡大しての展開。トークイベントにも60名ほどの方がいらして、拙い話に耳を傾けてくださった。


 会場になったのは富山市民プラザで、建物前の広場で一箱古本市が、3階のAVプラザでトークショーが、それぞれ行われた。トークは17時からだったけれど、自分も普通に客として古本市をのぞきたかったので、午後1時ごろには会場に着いて、あれこれ物色したり、古本市周辺の出店でカレーを買って食べたり。梅雨の真っ最中で、前日はひどい雨だったということだったけれど、この日は晴れ間がのぞいて、善き哉、善き哉。基本、晴れ男、なのです(やや自慢)。


 「そう遠くはないな」とアタリをつけたら、知らない町に来た時には、タクシーに乗ってみるのが楽しみの一つ。東京を離れて思うのは、地方のタクシーの運転手さんには、制帽をキチンとかぶっている人が多いことだ。東京の人はたいていかぶっていないけどね。その違いはなにが原因なのだろう?
 で、その制帽というのが、どういうわけかアタマの大きさに合っていない人が多いような気がする。細身でちょっとブカブカの人(なぜかその姿を見ると、私はいつも、故・横山やすしを思い浮かべてしまう。あの人が競艇の帽子をかぶっている時の感じだ)か、ガッシリしていて、とりあえずアタマに乗っけてます、という具合の人が多くて、今回は横山やすしのほうだった。
 「市民プラザまで」とお願いすると、「ああ、きょうはあそこに人がいっぱいいますなあ。あれは何ですか?」という内容のことを、富山の言葉でおっしゃった。説明すると「へええ、そういうの、いろんな町でやってるんですか、はああ」と感心したような、でもさして興味がない様子で答え、そしてそのあと、いろいろこちらから富山のことについてお聞きした時のほうが、はるかに舌は滑らかになった。


 「いま、富山駅、工事してますでしょ? 北陸新幹線です。あれが完成したら、東京のほうからは来やすくなりますよ。でも、逆に関西からのアクセスは悪くなるらしい。どんな理屈ですかね」「ここ、富山城があったとこ。今は城址公園になってます」「路面電車が気になりますか? 帰られる時にお乗りになるといいですよ。ちょうど駅まで行ってますから」「道が広い? そうですか? こんなもんじゃないですか? クルマが少ないからじゃないかな。毎日乗ってますから、考えたことありません」。


 それぞれの「店」をひやかし、カレーを食べ、見知った顔の幾人かとご挨拶し(東京からいらした人も!)、それでも17時にはまだ間がある。前日、ほぼ徹夜で原稿を書いていたので眠くてしょうがなくて、でも、ホテルのチェックインが15時なので、仮眠を取るにしても時間がない。寝過ごしてもまずいし(けっきょく、1時間だけ寝たけど)。
 と、いうことで町を散策。富山市の総曲輪(そうがわ)界隈。アーケードに入ると、清明堂書店がある。ここは、昔からある本屋さんだそうで(開業は明治21年!)、店の奥に岩波書店コーナーがあった。クラシカルなたたずまい。通路も広め。よそ者が言うことじゃないが、時間の堆積を感じます。
 紀伊國屋書店富山店は、総曲輪フェリオという建物の7階にあるのだけれど、ひ、広い! 1フロアなんだけど、それが果てしなく広がっている。調べたら、970坪だって! 新宿の本店の、1階から8階の棚を全部1つの階に集めたらこんな感じじゃないかしらん(いやこれはだいぶ大げさに言いました)。
 ここができた時の、地元の本屋さんの打撃は、察して余りある。しかし、本の好きな人は、ゼッタイ歓迎しましたよね、これ。だって、ワクワクしますもん。解き放たれた小僧になれますもん。ミもフタもない言い方になりますが、広さは、チカラです。自由でもある。紀伊國屋書店の誘致は、20年来の悲願、という内容のブログを見たことがあります。


 やはり総曲輪界隈にある古本ブックエンドは2階建ての古本屋で、この店を乱暴に一言で要約しまうなら、「70年代」かなと思います。1970年代がここにある。むろん、もっと古い本ももっと新しい本もあるけれど、柱は70年代の本。8冊くらい、買ってしまった(実は一箱古本市で買った本よりブックエンドで買ったほうが多い)。ポール・ウィリアムズの『アウトロー・ブルース』は室矢憲治訳、晶文社の本で、出たのが72年。これは東京でもほとんど見ないなあ。『唄が旅から帰った時 ―全国ライヴハウス街図―』(田川律大塚まさじ糸川燿史著)は大阪の有文社という版元(今はもうないだろう)の本で、76年。これは初めて見た。エッセイと写真集と全国のライヴハウスのガイドを1冊にまとめた不思議な作りの本で、フォークソングの匂いが濃厚にする1冊。片岡義男『ブックストアで待ち合わせ』は文庫本を実は2冊持っているのだけどこれは単行本で、ヨコ長の版型、写真も豊富で、カバー装画が、鈴木英人。この人は、山下達郎のアルバム『FOR YOU』のジャケがあまりに有名で、この本は83年。ザ・80年代という空気感。


 実をいうと、去年の暮れに出した自分の本のタイトル『わたしのブックストア』は、『ブックストアで待ち合わせ』から言葉をいただいたようなところがあり、今回のトークショーもその関連で呼んでいただいた経緯もあったから、トークの前にこれを見つけることができたのは、神様の思し召しか、あるいはブックエンドさんがわざと棚に挿しておいてくれたのだと、超拡大解釈しています。


 知らない町の午後の時間を、1人でブラブラ歩くのは昔から何よりも好きで、「昼下がり」という美しい言葉は、そんな時間のためにあると思う。道を行くあのご婦人も、サラリーマンも、中学生たちも、ぜったいに人にはいえない秘密を持っている。そういうものを巧妙に隠したり、やり過ごしたりしながら、なんとなくバランスを取りながら、どうにかこうにか日常が成立している。アーケードは、向こう側とこちら側の通りをつないでいるだけじゃなくて、それは「いま」と「昔」もつないでいる。こういう所にいると、1人ぼっちなのは自分だけじゃないな、ってことがわかる。集団で自転車で走り抜けていった中学生たちも、明日は1人でだらしなく蛇行しながら、つまらないことばかり考えて屈託しながら、1人で通るには広すぎるこのアーケードを抜けていくだろう。


 と、いったふうな、白昼夢めいた時間に身を委ねているうちに17時になり、さあ、現実に戻ります。


 トークのタイトルは、「本をつくること、本屋を作ること」。新刊『本屋図鑑』の上梓を間近に控えた夏葉社の島田潤一郎さんと2人の掛け合い。お互い、「本屋」に関する近刊に係わってきたことと、一緒に『冬の本』を作った間柄でもあるので、それでコンビで呼んでくださった、という次第。いっしょうけんめい、話したつもりで、島田さんとは東京の西荻ブックマークでも話をしたけれど、それとは内容がかぶらないようにし、『本屋図鑑』の取材で全国をまわって感じた実感、エピソードを中心に島田さんが話し、ぼくは主に古本屋さんの話。「マジメに話す」と決めていたので(あたりまえですけど)、皆さん真剣に聞いてくださって、「ああ、空気が張り詰めていてちょっと怖い」と思ってバカ話を挟むとそこでは温かく笑ってくださって、助かったなあ。


 トークの第2部は、オヨヨ書林山崎有邦さん(金沢)、徒然舎の廣瀬由布さん(岐阜)、町家古本はんのきと古書ダンデライオンの中村明裕さん(京都)と、それぞれの地域で今まさに古書店を営んでいる皆さんに参加してもらい、5人で書店談義。最年長だから(?)というわけでもないけどぼくはもっぱら2部は司会進行役になり、でもそこは1部とは違って、「もうちょっとあの人にしゃべらそう」「この話はもっと膨らまして」などと、ある程度舵取りしながら進めていくのは楽しかったです。


 打ち上げが総勢30人くらいいて、ほとんど名前を憶えられなかった(!)けど、忘れられないのは、たまたま向かいに座った若い夫婦。男性のほうが「富山市で古本屋をやりたい」と言い、オヨヨさんが「やめたほうがいいですよ」とアッサリ。いかに客が来ないか、商売にならないか、という現実の話。「金沢ならまだ…… 競争相手の店もここより多くなりますが」という話。でも、もともとは富山の人間ではなく、しかし結婚して妻の実家がある富山市で生きていくことに決めたので、あくまでここで、ここの本好きの人に必要とされる店をやりたい、ブックエンドさん以外にもあっていいでしょう? という男性。
 お隣に座っている奥さんがすごく無口な人で、それは余計な口出しをしない、ということなのかもともとそういう人なのか、ずっと顔がこわばって下を向いていて、それが胸に痛くて……


 がんばってくださいねとか、こうしたらいいですよみたいなことを言わないオヨヨさんもとても良くて。けっこう速いペースで、手酌で徳利の日本酒を空けていて、その右手と左手の動きがなめらかで、こういう時は下戸がヘタに酌しないほうがいいよね、サマになってるね、と思いながら眺めるばかりで。
 でも、本とぜんぜん関係のない冗談を言ったら、その奥さんもアハハと笑ってくれて、オヨヨさんもヘヘヘと笑って、ダンナのほうは声を出さないで、でも顔で笑って、ああ、よかった。みんなして笑ったのなら、まあ、いいんじゃない。


 2次会の席になって人数が半分以下になって(そのご夫婦は帰っていった。帰りがけにわざわざ「きょうはいろいろありがとうございました」とご挨拶されて。ぼくは基本、感傷的な人間なのであなたたちにまた会いたいです)、その頃には開いている店もだいぶ少なくなっていて、それでもイタリアンの店に入って。


 そこで、きょうが島田さんの誕生日だったことがわかって、みんなで乾杯! あと、もちろんいっぱい、いろいろな話をしたのだけれど、ずっと思っていたのは「どうしてみんな、こんなに親切なの?」ってことでした。


 本を回すとか、回転を早くして、とか、そんなのは東京の古本屋の話で、富山じゃ、回るも何もないですよ、とオヨヨさん。ほんとなんだろうな、と思った。それは、自嘲ではない。古本ブックエンドは間違いなくピカ一の店だけれど、そんなに本が目まぐるしく回転してる、ってことはないだろう。
 地方の古本屋さんに掘り出し物が、って時代は基本的に終わっていて、いま、全国のどの町よりも東京の中央線沿線が安くて品揃えが良いのは確実で、そういう場所に住んでいる人間がたまに地方に行って……
 列車のチケットも宿の手配もギャランティも全部していただいて、それでたった1日でまた東京に戻って、「いやー、富山、良かったですわ」なんて、どのクチが言うか! って思うけど、でも、この、自分の口で、そう言ったとしてもほんとにぜんぜん嘘ではなくて、だから、言ってみようかな。


 富山、すごい良かったです!


 ホテルの部屋に戻ったら、さっきまであんなにたくさん人がいたのに、今こんな見知らぬ部屋で1人ぽっちとはどういう了見だ? って感じで胸の辺りが囁いていて、でも、その周りの、胸を包みんでいるからだの全体の、奥のほうから「そういえば昨日寝てませんでした」って声が聞こえてきて、気がついたらヨダレたらして寝てました。最初、涙かと思ったけど、あれは「ヨ」のほうだったと思う。


 仕事が溜まっていたので翌日は早く帰らなくちゃいけなかったのだけど、せめて午前中はまだ富山にいたいな、と思い(超多忙の島田さんは、朝7時の電車で帰っていった)、ブラブラしながら、「どこかステキな喫茶店を教えてください」とツイッターに書きこんだら、すぐに、「Koffe」と「たかなわ」という2軒を教えてくれた人がいて(うち、Koffeは開店前の時間で開いていなかった)、そこに向かおうとしていたら、これから店に行くところだという石橋さんとバッタリ! 自分も早起きしてしまったので時間があります、という石橋さんと一緒に、教えてもらった喫茶店のうち「たかなわ」に。石橋さんは後日、「前日は人がたくさんいてゆっくり話せなかったので、翌日にバッタリお会いできたのは、思わぬボーナストラックみたいでよかったです」とメールに書いてくださった。ボーナストラックみたい、っていい表現でしょ?


 奥の席に座ったら、「そこは先日、高倉健さんがお座りになった席ですよ」なんてマスターに言われて。なるほど。健さんが朝、そっと立ち寄るのにふさわしい店だし、ふさわしい席だったな。


 Koffeがまだ開いていなくて、たかなわ、に行くまでの、松川沿いの遊歩道は桜並木だそうで、「花見の季節はすごくキレイですよ。遊覧船も通るんです」と石橋さん。遊覧船、イイですね。そんなに広い川じゃないけど、だから余計、サクラも身近に見られるだろうし、そうか、春か。春の富山か。


 植物に疎くて、木にも疎くて、ヘタしたらサクラとケヤキの区別もつかないかもしれない(!)自分は、もし1人でこの遊歩道を歩いていたら、「これ、何の木かな?」ってことすら、考えないかもしれない。だから、ここで石橋さんとバッタリ会ったのもやっぱり思し召しで、梅雨の晴れ間のボーナストラック。
 咲いてなくてもサクラはサクラで、そのことを知っている人と歩いているからこそ、自分もそのことを知って、「そうなんだ」と思って、歩いているわけです。見えない遊覧船を思いながら。


 とりあえず夏の甲子園では、富山県代表の高校を応援するくらいには、いま、富山が好きです。